【追悼】野上士耀(しきら)さん死去。病気や死因・オリックスの19歳の高卒ルーキー捕手

追悼

オリックス・バファローズに所属する高卒1年目の期待のルーキー、野上士耀(のがみ・しきら)捕手が19歳という若さで急逝したことが2026年9月30日、球団より発表されました。

出典:hochi.news

将来の正捕手候補としてファームで実戦経験を重ね、日々たゆまぬ努力を続けて1軍デビューを目指していた矢先の出来事であり、野球界のみならず多くのファンに大きな衝撃と深い悲しみが広がっています。

直前まで元気にグラウンドに立ち、全力で白球を追いかけていた野上さん。

一体なぜ、これほどまでに早すぎる別れが訪れてしまったのでしょうか。

本記事では、球団から発表された公式発表の内容や亡くなる直前の状況をはじめ、野上士耀さんのこれまでの球歴やプロでの活躍、そして1軍への情熱について振り返り、深く哀悼の意を表します。

死因・病気に関する発表内容と直前の状況

球団からの突然のリリースに、誰もが目を疑いました。2026年9月30日、オリックス・バファローズは野上士耀捕手が急逝した旨を公式に発表しました。

多くのファンが悲しみとともに気にしている死因や病気の詳細についてですが、球団の公式発表においては「急逝」とのみ報告されており、具体的にどのような病気であったのか、あるいはどのような出来事があったのかといった詳細な死因については公表されていません。

ご遺族の意向やプライバシーへの配慮もあり、詳細な情報の公表は差し控えられている状況です。

何より周囲の衝撃を大きくしているのは、野上さんが亡くなる直前まで普段通り試合に出場し、元気にプレイを続けていたという事実です。

訃報が届くわずか3日前の9月27日に行われたウエスタン・リーグの広島東洋カープ戦において、野上さんは「9番・DH」で先発出場を果たしていました。

いつもと変わりなく打席に立ち、チームの勝利のために全力で戦っていた姿が残されています。

体調の著しい悪化や長期の離脱などを感じさせない直前までの精力的なプレイぶりだったからこそ、球団関係者やチームメイト、ファンにとっても、この悲報はあまりにも突然で受け止めがたいものとなりました。

この悲報を受け、球団は直ちに追悼の対応をとりました。

発表当日である9月30日に杉本商事バファローズスタジアム舞洲(杉本商事BS)で予定されていたファームの阪神タイガースとの練習試合は急遽中止となりました。

チーム全体が深い悲しみに包まれる中、関係者や選手たちも大きなショックの中にいます。

野上士耀さんのプロフィールと経歴

野上士耀さんは、幼少期からその卓越した身体能力とキャッチャーとしての高い資質で大きな注目を集めてきた選手でした。

野上さんの基本情報とこれまでの歩みを以下にまとめます。

野上士耀さんの基本プロフィール

氏名野上 士耀(のがみ・しきら)
生年月日2007年5月23日(享年19歳)
出身地愛知県春日井市
投打右投右打
ポジション捕手
背番号60
出身高校明秀学園日立高校(茨城県)
入団経緯2025年NPBドラフト7位(オリックス・バファローズ)

野上さんの野球人生は、幼少期から華々しい実績に彩られていました。

アマチュア時代の主な経歴は以下の通りです。

野上士耀さんの主な野球経歴

年代や所属主な実績とエピソード
小学生時代小学6年時に「中日ドラゴンズジュニア」に選出される。
中学生時代
(名港ボーイズ)
強肩捕手として頭角を現し、二塁送球タイム1.9秒台を計測。
高校時代
(明秀学園日立高)
二塁送球1.8秒台の強肩と高校通算15本塁打のパンチ力を発揮。
3年夏(2025年)の茨城大会決勝で途中出場から好守を見せ、
チームを甲子園出場に導く。
プロ入団
(2025年〜)
NPBドラフト会議でオリックスから7位指名を受けプロ入り。

小学生時代には、狭き門である「中日ドラゴンズジュニア」に選出され、早くから同世代のトップレベルで揉まれてきました。

中学時代に所属した「名港ボーイズ」では、キャッチャーとしての最大の武器である「強肩」に磨きをかけ、二塁送球1.9秒台という中学生離れしたタイムを叩き出していました。

高校は茨城県の名門・明秀学園日立高校に進学。ここでも持ち前の強肩はさらに進化を遂げ、二塁送球は1.8秒台を記録するまでに成長しました。

さらに守備だけでなく、高校通算15本塁打を記録するなどパンチ力のある打撃も兼ね備えた大型捕手として注目を集めます。

圧巻だったのは3年夏(2025年)の茨城大会決勝です。

緊張感あふれる大一番で途中出場した野上さんは、要所で見事な好守を披露してチームの勝利に貢献し、見事に甲子園出場の切符を掴み取りました。

これらの実績が高く評価され、2025年のNPBドラフト会議においてオリックス・バファローズから7位指名を受け、夢であったプロ野球選手としての第一歩を踏み出したのです。

プロ1年目の活躍と目標

プロ入り後、背番号「60」を背負った野上士耀さんは、高卒ルーキーとしてファーム(2軍)を主戦場にプロの厳しさと楽しさを肌で感じながら日々成長を続けていました。

1年目となった今季のファームでの打撃成績は以下の通りです。

2026年 ファーム(ウエスタン・リーグ)成績データ

試合数打率本塁打打点
32試合.1870本4打点

プロの壁は厚く、打率.187と数字の上では課題も残るルーキーイヤーでしたが、高卒1年目の捕手としてファームで32試合に出場し、実戦経験を積み重ねていたことは将来に向けた大きな財産となっていました。

捕手という配球や守備の負担が大きいポジションでありながら、首脳陣からの期待も大きく、着実にプロのスピード感や投手の球威に対応しつつある段階でした。

何より、野上さんの魅力を物語っていたのは、その野球に対する一途で向上心あふれる姿勢です。生前、自身のプロでの目標や意気込みについて、野上さんは次のように熱く語っていました。

「1軍で早く試合に出られるように。素晴らしい捕手がいっぱいいるので、いいところを吸収して、自分のものにしていけたら」

オリックスには、球界を代表するトップクラスの捕手が数多く在籍しています。

野上さんはそうした偉大な先輩たちの姿を間近で見つめながら、一つでも多くの技術や考え方を吸収しようと、貪欲に練習へ取り組んでいました。

壁にぶつかりながらも前を向き、「早く1軍の舞台に立ちたい」と目を輝かせていた姿は、チームスタッフやファンの目にも強く焼きついています。

まとめ・追悼

19歳というあまりにも若すぎる悲報。オリックス・バファローズの将来を担う大器として、これから幾多の歓喜や感動をファンに届けてくれるはずだった野上士耀さんの旅立ちは、言葉にできないほどの寂しさと切なさを残しています。

球団は公式発表の中で、次のような追悼コメントを発表しました。

「生前、ファンの皆様から賜りましたご厚情に深く感謝申し上げますとともに、謹んで哀悼の意を表します」

夢に向かってまっすぐに突き進み、直前までグラウンドで白球を追い続けた野上さん。

その情熱的なプレイや、1軍を目指して直向きに努力していた姿は、多くの人の心の中にこれからも生き続けることでしょう。

若き才能あふれる野上士耀さんの早すぎる旅立ちに深い悲しみを禁じえませんが、彼が残した輝きに感謝し、心よりご冥福をお祈り申し上げます。

追悼
シェアする
チャタローをフォローする
タイトルとURLをコピーしました