Adoさんの新曲「ビバリウム」で、自身初となる実写MVが公開され、大きな話題を呼んでいます。
ついに素顔を見せるのか?という期待とともに、様々な意見が飛び交っています。
今回はMVの見どころや制作背景、そして気になるネットのリアルな声をご紹介します。
Adoの半生を描く新曲「ビバリウム」とは

2月26日に発売された自伝的ノンフィクション小説「ビバリウム Adoと私」。
この小説は、「M 愛すべき人がいて」や「それってキセキ GReeeeNの物語」などを手掛けたベストセラー作家・小松成美さんが、3年という長い歳月をかけてAdoさん本人への取材を重ねて書き下ろしたものです。
これまでベールに包まれていた幼少期から、不登校に苦しんだ学生時代、
そして彼女の救いとなった「歌い手」という世界への挑戦。
さらに、所属事務所であるクラウドナインの千木良卓也社長との運命的な出会いを経て、「Ado」としてワールドツアーを成功させるまでの軌跡が、余すところなく描かれています。
そんな小説を元に作られたのが、今回の新曲「ビバリウム」です。
Adoさんのライブでバンドマスターを務める高慶“CO-K”卓史さんが編曲を担当し、自己否定に苦しみながらも光を求める彼女の心の叫びを、力強いボカロックへと昇華させています。
まさに、Adoさん自身の魂が込められた一曲と言えるでしょう。
初の実写MV!約300カットで紡がれる映像美

今作のMVは、映像ディレクターの林響太朗さんが監督を務め、ACROBAT FILMの大野瑞樹さんがプロデューサーを担当しています。最大の特徴は、何と言ってもAdoさんにとって初めてとなる“実写MV”であることです。
過去の鬱屈とした記憶、決して折れない不屈の精神、そして未来への希望。一人の人間として、そして歌い手として向き合い続けてきたAdoさんの姿勢が、約300カットにも及ぶ迫力ある映像で表現されています。
制作陣もこの作品には特別な思いを抱いており、林監督は「この楽曲から『覚悟』を感じた」と語っています。
実写で撮影するという姿勢に共鳴し、言葉や残響から迫力を持って表現したいという思いで一枚一枚紡ぎ出したそうです。
大野プロデューサーも「Adoは、私なんです。」という彼女からの覚悟の言葉を胸に、もがき苦しみながらも挑戦を止めない彼女の「今」を映像という箱に閉じ込めたと熱いコメントを寄せています。
Ado本人が出演!撮影の裏側と彼女の思い
このMVには、なんとAdoさん自身が出演しています。
初めての実写出演について、彼女自身も「所々で結構攻めたシーンが多いので、リスナーの皆さんは少し困惑してしまうかもしれませんね」と語っています。
特に注目してほしいポイントとして挙げているのが、水の中のシーンと走っているシーンです。
水の中のシーンは実際にAdoさん本人が演じており、「とても濡れた」と振り返るほど体当たりの演技を見せています。また、ヒールで必死に走るシーンも、本人にとっては少し面白く感じつつも、実際にはかなり大変だったようです。
「どんな形であっても私であることには変わりません」と語るAdoさんにとって、この楽曲と小説、そしてMVは、非常に大切な作品になったことが伝わってきます。
素顔公開へ?ネットで巻き起こる賛否の声
実写MVが公開され、本人が出演しているということでネット上では大きな反響がありました。
しかし、その声は決して称賛ばかりではなく、様々な視点からの厳しい意見も存在します。
ここでは、ネット上で見られた特徴的な声をいくつかご紹介し、考察していきます。

上手なんだけど聴いてて疲れるので聴かない。
元々顔出ししてアイドル活動してたんだから早く顔出しすれば良いんじゃないかな
圧倒的な歌唱力ゆえに「聴き疲れしてしまう」という意見です。
また、過去の活動歴を知る一部のリスナーからは、現在の「顔出しをしない」というスタイルに対するもどかしさも滲んでいます。

顔が見えない感じの出演かな。
キン肉マンのマスクの下の素顔は!?みたいな売り出しを思い出した
「チラ見せ」という手法に対するエンタメ的な視点からの意見です。
かつての少年漫画で素顔が明かされる瞬間に熱狂した思い出と重ね合わせつつも、結局顔が隠されている演出に対して「焦らし」を感じる人もいるようです。

そろそろ売り出し方向性を定めた方が良いと思う。
アニメ風アイコンで貫くか、徐々に素顔公開していくのか。知名度は十分だし、MVのチラ見せは白ける
アーティストとしてのブランディングへの指摘です。
すでに圧倒的な知名度を確立しているのだから、中途半端に焦らすようなプロモーションはかえって逆効果ではないか、という厳しい意見です。

AIバンド等、違和感のない音楽が出始めている。
人間がいらなくなる世界が迫る中、顔出ししないのであればAI音楽との違いが見いだせなくなってくると思う
これは非常に現代的で鋭い指摘です。
生成AIが急速に進化し、人間と遜色ない音楽を作れるようになった今、アーティストが「顔(=人間としての身体性)」を出さない場合、AIとの差別化をどこで図るのかという大きな課題を提示しています。
今回の実写MVは、この「人間としての証明」の一歩なのかもしれません。

出だしからうるさく感じてしまった。優しく歌っている歌は聴けるが、ハードな歌は疲れる。
彼女が歌いたい歌を歌う、それについていける人だけが聴き続けるんだろうな
楽曲のテイストに対する率直な感想です。
今回の「ビバリウム」は心の叫びを表現したハードな曲調であるため、そのエネルギーの強さに圧倒されてしまうリスナーもいるようです。
まさに「ファンを選ぶ」挑戦的な楽曲であると言えます。
まとめ
Adoさんの初実写MV「ビバリウム」は、彼女の半生を描いた自伝的小説をベースに、彼女自身の「覚悟」が詰まった作品です。
本人出演という大きな決断を下した一方で、ネット上では「チラ見せ演出への不満」や「AI時代のアーティストの在り方」、「楽曲のカロリーの高さ」など、賛否両論の様々な意見が飛び交っています。
しかし、これだけ多角的な議論が巻き起こること自体が、Adoというアーティストの世間に対する影響力の大きさを物語っています。
「どんな形であっても私であることには変わりない」と語る彼女が、今後どのような表現を見せてくれるのか。
これからも彼女の活動から目が離せません。


